その英雄は、一度死んでいる

第6話 ハーリーの森にて2

 六本も足があるのだから、半分くらい凍ればもう身動きがとれない。

 それを確認したヴェイセルとエセルバートは魔物の一層を始めた。

 各々体動けない魔物を切り伏せていく。

 つかず離れずとは言わないけれど、二人の距離はそれほど離れていない。

 まだ警戒を緩めずにしばらく剣を振るっていると、ぴしりと何かが砕ける音がした。

「エセルバート!」

 レナルドの声が聞こえて振り返ると、自身の足を食い千切った魔物がエセルバートに噛みつこうとしていた。

 危うげなく剣で受け止めるものの、もう一匹別の蟻がすぐにエセルバートに向かってくる。

 その蟻も足を食いちぎっているようだった。

 それをヴェイセルが背後から斧槍で一突きにする。

「大丈夫か?」

「ああ、なんとかな」

 笑みを浮かべて答えるエセルバートも、目の前の蟻を処理する。

 すべてのフラワーアントが動き出す前に、なんとか始末することができた。

 それでも、何匹かは足を食い千切っていた。

「こいつら、痛覚がないのか?」

「わからないが、気持ち悪いな」

 魔物に突き立てた剣を抜きながら、エセルバートは魔物の死骸に視線を向ける。

 ちぎれた足に眉根を寄せる。

「まあ、フラワーアントは女王蟻の意思で動いているようなものだから、痛覚とか感情とかないのかもな」

 レナルドの言葉に納得しながらも、不快感が胸に巣くう。

「オーガストさん、蟻の処分はどうしますか?」

「素材は置いていこう。数が多すぎる」

「……そうですね」

 辺り一面蟻の死骸が転がっている。

 かなりの数があり、全部の素材を剥いでいたら夜になりそうだ。

「それじゃあ、燃やしますか」

 袖をまくるようにして、レナルドが動き始めた。

 こういうとき魔術師は本当に頼りになる。

 それを離れて商人たち三人と、冒険者二人は見守る。

「こうなると、俺たちの仕事がないな」

「警戒は怠るなよ」

 エセルバートの注意にヴェイセルが苦笑する。

「わかっている」

 軽口を叩いていると、オーガストの視線を感じてそちらに顔を向けた。

「そんな顔もするんだな」

 嬉しそうに笑みを浮かべている商人を見て、エセルバートは複雑な気分になる。

 つい自身の頬に触れてしまう。

 ヴェイセルとの共闘は今までにない昂揚と、満たされるものがある。

 まだ高ぶっているのがわかるくらいだ。

 だから蟻の不自然な行動と、足下の微かな音の原因に気づかなかったのかもしれない。

「オーガストとは昔からの知り合いなのか?」

「ああ、前から世話になってる」

「私の方が助けられているよ」

 オーガストはそういうが、どれだけエセルバートがこの男に救われているか自覚がないのだろうか。

「依頼で知り合ったのか?」

「そうだな。ヴェイセルには昔からの知り合いはいないのか?」

「あちこち旅をしていたから、あまりそういう付き合いはないな」

 そんな雑談をしているうちに、レナルドが戻ってきた。

「お疲れ」

「毎回すまないな」

 エセルバートとオーガストの労いにレナルドは笑う。

「火魔法を使う方が、片付けは早いですからね」

 すべて地面に埋めていては、どれだけ時間がかかるかはわからない。

「さあ、もう少し行けば森から出られる。日が暮れる前にハーリーの街へ行こう」

 オーガストの声を起点に、再び進み始めた。

 しかしあと少しで出口だというところで、かさかさと地面を這う虫の足音に気づく。

 再びフラワーアントが現れたのだ。

「今度は数が少ないが、しつこいな」

「まあ、仕方ない」

 二人の軽口を聞きながら、エセルバートは視線を走らせる。

 蟻の執念深さを考えると、近くに巣があるのだろう。

 レナルドに確認してもらう隙はあるか思考していると、蟻が襲いかかってくる。

 剣で顎を受け止めていると、再びエセルバートを狙って別の蟻が襲ってくる。

 切り伏せているうちに徐々にヴェイセルたちから距離ができる。

 意図的に引き離されているようだ。

 こんな動きをするのははじめてだ。

 まるで何か知能があるリーダーに操られているかのようである。

「もしかして女王蟻がいるのか?」

「そうかもしれない」

 ヴェイセルがすぐに援護に来る。

 近づく距離に、無意識に安堵する。その瞬間、足下から地響きが起こった。

 立てないほどではないにしても、急なことで商人たちが不安そうにしている。

「レナルド、三人から離れるな!」

 そう叫んだ瞬間、背後から地面を突き破って巨大な蟻が現れた。

 瞬間、さらに強い花の香りが辺りを満たした。

「エセルバート!」

 ヴェイセルの声が耳に響く。

 女王蟻の魔力にまるで気づかなかった。

 魔力制御に慣れているのだろうか。それができるならかなりの知能を持っていることになる。

 体勢を崩しながらも女王蟻の攻撃を避ける。避けた先では兵隊蟻が群がっている。

 なんとか蟻たちの攻撃を回避したけれど、すぐにはっとする。

 女王が現れたことで地盤が不安定になったのか、穴の亀裂がどんどん広がっていく。

 皹が足下の地面まで崩していき、エセルバートは宙に投げ出された。

「えっ」

 一瞬思考が止まり、音が聞こえなくなる。

 目に映るのは焦るヴェイセルと、商人たちを守るレナルドの慌てる表情だった。

 女王蟻も似たように穴へと落下していくけれど、魔物の方が丈夫だ。落ちたとしても無事だろう。

 それよりも、このまま落ちればエセルバートは無事ですまない。

 急に視界が狭まるような恐怖を感じて、呼吸を忘れそうになる。

 けれど思考を放棄していたエセルバートの腕を引く者がいた。

 ここ数日だけで慣れた魔力を感じて、はっとする。

 視線を向けると斧槍を片手に持った戦士がいた。

「ヴェイセルっ!? 何でお前まで……」

「くそが!」

 ヴェイセルに引っ張られるのと同時に、彼の顔を見上げた。

 珍しく怒りの表情を浮かべている。

 彼と出会ってからはじめて見る。

 エセルバートの視線の先で赤銅色の瞳孔が縦に裂けた。

「瞳が……」

 そのことをヴェイセルに問いかけるよりも先に、彼は片手でエセルバートを抱えて斧槍を持った手を振り上げた。

 勢いよく振り下ろされた先ではクイーンフラワーアントの頭が砕かれている。

 女王は耳をつんざくような悲鳴を上げて暴れ、穴の絶壁を足で引っかき回した。

 さらに穴が大きくなる前に、再びヴェイセルが斧槍で薙ぎ払うと今度は首が落ちた。

「……なんて力だ」

 兵隊蟻よりも一廻り大きい巨体であり、さらに堅い甲殻を砕くにはかなりの力が必要なはずだ。

 今までのヴェイセルを見ていたから知っている。普段の彼ならばそんな力はない。

 縦に裂けた瞳孔を見上げる。

 彼の周囲から魔力が滲み出ている。

 怒りの感情からか、それともこの危機的状況で発現したのか。

 その両方が原因なのかもしれない。

 女王は完全に絶命したのか、痙攣して動かなくなった。

 それを黙って見ていると、ヴェイセルに抱きしめられるように頭を抱え込まれた。

「勝手に落ちるな」

 微かに怒りの滲む声が耳に響く。近くなった体温にどきりとした。

 距離が縮まったことで男の匂いと、鼓動が聞こえる。

 かっと茹だるように脳に熱が回る。

 そのことを深く考えるよりも先に、エセルバートは思い出す。

 以前もこんなふうに落ちていくことがあった。

 五年前。

 エセルバートが一度、命を落としたときのことである。

 似ていると思っただけなのに。

 以前とはまったく違う状況だというのに、指先が冷たい。

 意識が急に現実から遠ざかっていく。

 いつもそうだ。

 思い出そうとするとそれを妨げられる。今回は意識を奪われる。

「エセルバート?」

 眠気に流される寸前、心配そうに名を呼ぶ声が聞こえる。

 けれど意識を繋ぎ止める碇になることはなかった。