麗しの騎士は、英雄と呼ばれたくない

第18話 薬を盛られる1

 エレオノーラの研究室にははじめて入る。

 薬草園と同じように、部屋は母の魔力で満たされている。

 部屋の壁には隙間なく棚が並んでいて、薬瓶や乾燥させた植物、魔石など、さまざまな素材が棚に並んでいる。

 名前やどういう効能があるのかわからないものが多い。それでも直感的にこの部屋にあるものは貴重なものばかりだとわかる。

 エリアスは本棚にある資料を興味深く眺める。

 貴重な研究資料や、薬の調合方法など様々な本が並んでいる。

 研究室の周囲にはエルフの特別な結界が張られていて、エレオノーラが認めた人物以外入ることはできない。

 エレオノーラが手がけた研究のメモや、国が喉から手が出るほどほしい薬草も、机の上に散乱している。

 必要な人物にとっては宝物庫と変わらない。

 それでも強力な結界に阻まれてしまい、誰かに盗まれる心配はないのだ。

 そうとわかっていても不用心に見えて、少し不安になってしまう。

 繊細な美貌の母からは想像もできないけれど、実際はこの部屋のようにものを乱雑に扱う。

 本性が粗野で口調の荒い自分を省みると、よく似た親子だと苦笑いが浮かんでしまう。

 投げ出された紙の束を手に取る。知識のないエリアスが読んでも理解できるものではないけれど、なんとなく眺めた。

 案の定読んでも目が字の上を滑るばかりで、意味を読み取ることができない。

 それでもエレオノーラの長年の成果なのだと思うと、誇らしく思う。

 一枚一枚、慎重に紙をめくる。ところどころ殴り書きや落書きもあった。

 実験に対する愚痴や、雑な薬草の絵、ところどころロベルトやエリアスの絵もある。

 そんなものを見ていると、美しい顔には自然と笑みが浮かんでいた。

 普段は見ることができない柔らかな微笑みは慈愛が満ちていて、まるで神に認められた聖人のようである。

 そんなことにまるで気づかないままそうやって時間を潰していると、奥の実験室からエレオノーラが現れた。

「待たせちゃって、ごねんね。ようやく手が空いたわ」

「忙しい時間帯に来て悪ぃな」

「いいのよ。急に呼び出したのは私だもの」

 紙から顔を上げると、エレオノーラはティーセットを運んでいた。

 楽しそうに母が用意する茶器から、香しい匂いが部屋を満たす。

 ここの薬草園で栽培された茶葉から淹れられたものだ。エレオノーラが手ずから作ったもので、市場には出回っていない。

 この研究室でしか飲めない特別な茶である。

 部屋の端にあるソファへ促されて座る。

 カップを受け取ると、エレオノーラが向かいに座った。

「最近、身体はどうなの? クラレンスから話を聞いたけれど、暴走しかけたそうね」

 エレオノーラは長い耳を微かに傾けて、心配そうにエリアスを見ている。

「セドリック殿下の魔力調整でなんとかなった」

「でも、その原因はセドリック殿下でしょう? そのあと身体に変化はない?」

 不思議なことに、セドリックに魔力調整をされてからしばらくの間、身体の調子はよかった。

 その後もなぜか王子が側にいても、触れられなければ魔力が乱れることもなかった。

 だから先ほど出会ったときも平然と会話ができたのである。

「不思議ね。今までは側にいるだけであれほど乱れていたのだし、暴走するほど魔力の相性が悪いのかと思っていたけれど、そうでもないみたいね。やっぱり王族の魔力は特別なのかしら」

「身体の調子がいいからって、毎回王子殿下に調整してもらうわけにはいかねぇし……」

 エリアスの言葉にエレオノーラは唸るようにして考え込む。

「セドリック殿下と直接話ができればいいんだけど、相手は王子殿下だし。そんな簡単にはいかないわよね」

 独り言のようにぽそぽそとエレオノーラが呟く。

 エルフであるエレオノーラの身分は国の客人だ。王子と会うのに難しくない立場ではあるけれど、呼びつけるのは確かに外聞がよくない。

 エレオノーラがロベルトの伴侶だということは公にされていることもあり、エルフの呼び出しとはいえ、彼女が王族に近づくといろいろと勘繰られてしまう。

 政治や貴族の関係は、複雑に絡まりすぎてエリアスには難しすぎる。

 エリアスが頭を抱えていると、エレオノーラが再び視線を向けてきて決意したように大きく頷いた。

「神竜のことはよくわからないけれど、魔力の乱れについては心当たりがあるの。といっても私自身がどうにかできるものじゃないんだけど」

 普段からやわらかな印象のエレオノーラが、形のいい眉を寄せて顰めっ面をしている。

 悔しそうに歯噛みしている母を見るのははじめてだった。

「少し時間をちょうだい。当てはあるから、その人に連絡してみる」

 あまり気が進まない母を見て、誰を頼るのかはすぐにわかった。

「エルフなのか?」

「ええ、私の叔父にあたる人よ。その人なら魔力調整についても詳しいわ。……本当は頼りたくないんだけどね」

 苦い笑みを浮かべる母を見て、エルフの親族とは複雑な関係にあることがわかる。

 エリアスにとって親戚ではあるものの、家族以外の血縁者には今まで会ったことがない。

 そういう状況になっているのは、きっと何か事情があるのだろう。

 噂で聞いたことがあるエルフは、森から出てくることがほとんどない。

 真面目で、人間嫌いで、自然を愛する長命種。

 どんな気難しい人物なのかはわからない。けれど会ったことがなくても、血縁者だと思うと少し楽しみだった。

 波乱の幕明けかと思われた日常は、意外と平穏に過ぎている。

 英雄の息子と知られたことで、同僚から遠巻きにされてはいる。

 それでも仕事上困ることはなく、エリアスは普段通りトリスタンの警護をしていた。

 ただ、現在なぜか王子と同じテーブルに座っている。

 侍女が持ってきた茶菓子を前にして、エリアスは無言の困惑を表情に浮かべていた。

 確かに、普段通りに警護していたはずだ。

 それなのにどうして、王子と騎士が茶を飲んでいるのだろうか。

 既に毒味済みの焼き菓子だから、これ以上その役割は必要ない。わかっているはずなのに、トリスタンはなぜか毒味役としてエリアスを同席させていた。

 ただ同席させるために理由をこじつけただけである。

 トリスタンの浮かべる表情は、普段と変わりない。けれど目の下は隈ができるし、あまり顔色がよくない。

 どう見ても、疲れが出ている。

「たまには俺も息抜きをしていいだろう?」

「そうは言いますが、俺は護衛騎士です。仕える王子と同席するのは無理があります」

「そう難しく考えるな。ほら、この菓子もお前好みのものだ。食べてみろ。美味いぞ」

 勧めてくる焼き菓子は、確かにエリア寸好物だった。

 甘さは控えめで、まるごとりんごが使われたアップルパイである。

 バターの香りに鼻腔が擽られて、口に唾液があふれてくる。

 それを無視してトリスタンを見る。

 この王子が普段から友人との交流に飢えているのは知っている。どうしたものかと周囲に助けを求めて視線を向ける。

 騎士だけでなく、壁際に控える侍女も皆一様に視線を逸らしてしまう。

 ここ最近の第三王子の周辺は騒がしく、王子自身も疲弊している。

 その様子を知っている護衛たちは、トリスタンの好きにさせたいようだ。

 エリアスもそのことを承知しているし、王子が甘えたくなる心情もわかる。

 トリスタンの目の隈を見て、痛む良心に蓋をする。

 忙しくなった原因のひとつはエリアスである。そう思うと、このくらいなら付き合っても許されるだろうかと考えてしまう。

 もう一度周囲を見ると、騎士たちが縦に首を何度も振っている。

 それを見て息を吐き出すと、エリアスは諦めて焼き菓子を手にとる。

 それを見た第三王子の顔に純粋な喜びの笑みが浮かんだ。

 そんな何も含みのないトリスタンの笑顔も珍しい。

 以前クライヴから忠告があったとおり、水面下では王太子の一派が何か怪しい動きをしていた。

 怪しいといっても、目立つ行動ではない。一部の貴族が第三王子の派閥に接触してきたのだ。

 どういった目的があるのかはわからない。ただ今は注視していることしかできない。

 それと、エリアスにとっては平穏ではあるものの、トリスタンの周辺は慌ただしくなっている。