その英雄は、一度死んでいる

第4話 気づかされた感情2

「魔物よけも結界もあるから、多少の襲撃は防げるけど安心はできない。気を抜くなよ。順番が来たら起こしてくれ」

 レナルドは欠伸を噛み殺しながら荷馬車の荷台に移動すると、寝袋に入って丸くなった。

 エセルバートも眠ろうと毛布で身体を包み、焚き火の前でシリルの身体に背を預ける。

 しばらく瞼を閉じて眠ろうと努力した。

 辺りは静かで、薪が爆ぜる音しか聞こえない。

 どれくらい時間が経っただろうか。

 眠れないままただ時間が流れるのに耐えられなくなる。

 諦めて瞼を開くと、身体を起こした。

「眠らないのか?」

「寝ようとは思ったんだが、難しいな」

「意外と繊細なんだな」

 言われても溜め息しかこぼれない。

 もともとエセルバートは臆病で優柔不断な人間である。ある出来事が起こってから、なぜか昔に比べて精神的に強くなっているけれど。

「昔はもっと弱い人間だった。人の本質なんてそう変わることはないさ」

 声は重く、荒涼として寂しいものだった。

 けれど眠れないのはそれだけではない。

 人と壁を作って生きてきたエセルバートは、ずっと一人だった。

 そのことに今まで何も感じたことはなかったのに、この時間が失われるのが怖い。

 なぜか今回の旅でまざまざと気づかされた。

 ちらりと視線を向けると、ヴェイセルは焚き火を見ていた。

 ときどき薪をくべながら、炎を見ている赤銅色の瞳は深紅に染まっている。

「俺だって悩んだり、不安になったりすることはある。こんなでかい斧槍を振り回しておいて意外だろ?」

「そうでもないさ。悩みなんて誰にでもあるだろ」

 自身のような人間がいるのだから、他にいてもおかしくはない。そう思って発言だった。

 けれどヴェイセルは違うように取ったらしい。

「お前は不思議だ。俺みたいな魔人にも普通だし、当たり前のことを当たり前のように言う」

 向けられる視線の意味はわからないけれど、とても強いものだった。

 ヴェイセルが悩みも気になるけれど、そこまで踏み込むつもりはない。

 本能が進むなと呼びかけてくるからだ。

 きっと聞いたら戻れなくなる。

 何に対して警告されているのかはわからないけれど、これ以上はまずい。

 そう確信できた。

 けれどそんな思考も長く続かなかった。

「気づいているか?」

 ヴェイセルの声にエセルバートは頷いた。

「ああ、魔物の気配だな。それも複数だ」

 魔力の波長が周囲にある。

「魔物よけを焚いているのになぜだ?」

 エセルバートは焚き火の側に近づき、香木を確認する。

「……これ、かなり湿気てるぞ」

 湿気ていては火もつきにくく、効果も半分とないだろう。

「用意したのは誰だ?」

「オーガストさんだけど。でもあの人はこんなもの用意しないだろ」

 商人であるオーガストが用意をしているのだから、こんな粗末なものを準備するなどあり得ない話だった。

「誰かがすり替えたのか?」

「のんびり考えてる暇はないぞ! レナルド起きろ、襲撃だ!」

 ヴェイセルの怒鳴り声でレナルドがびくりと身体を揺らすのが見えた。

「え、魔物?」

 眠っていた割にすっきりした声のレナルドは、寝袋から這い出ると何もない空間から杖を出現させた。

「レナルドはオーガストさんたちにつけ、俺たちはあいつらを倒す」

「わかった、気をつけろよ!」

 馬車の方へ向かうレナルドを見送ることもなく、ヴェイセルと並んで立つ。

「夜目は利く方か?」

「ああ。だが何をする気だ?」

 ヴェイセルの問いにエセルバートは足を大きく振り上げる。

「こうするのさ!」

 蹴り上げる勢いだけで炎が散り、火のついた薪が魔物がいる方へ叩きつけられた。

 驚きで魔物の悲鳴が上がり、一瞬隙が生まれる。

 夜の闇に包まれると、視界が一気に閉ざされた。

 即座に体内の魔力を練って目に集中させる。

 猫のように夜でも周囲が見えるようになる魔法だ。

 身体強化の一種だが、エセルバートのオリジナル魔法である。

 暗闇の中で視界が明るくなると、魔物の正体がようやく判明した。

 ウルフレプト。

 見た目は狼のようだが頭から胸の辺りまでが豊かな毛皮で包まれ、そこから尻尾までの下半身は爬虫類の鱗で覆われている。

 尻尾は長く、蜥蜴のような見た目である。

 集団で行動するタイプの魔物だ。

 ウルフレプトの群れは一行を囲むようにしている。

 魔物を確認しながら剣を抜き放ち、群れに飛び込んだ。ヴェイセルも似たようなもので、囲ってくるウルフレプトの中で斧槍を振り回している。

 本人が言っていたように、斬るというよりも叩き潰す戦法で、勢いと力だけで魔物が吹き飛ばされている。

 すさまじい迫力に襲ってきた魔物の方が引いている。

 ヴェイセルは動揺している魔物に追い打ちをかけ、さらに攻撃していく。

「はは、すごいな」

 その様子を見てエセルバートは笑みを浮かべた。

 自分も負けてはいられないと意気込み、剣を構える。

 一度に複数のウルフレプトが襲いかかってくる。

 ヴェイセルと違い、こちらの方が容易く狩れると思ったのかもしれない。

 甘く見られたものだ。

 ステップを踏みながら攻撃を仕掛けてくる牙と爪を避ける。

 避けたのを気づかれる隙も与えず、横を通る瞬間に軽く剣を振る。

 軽く振っているだけにしか見えないのに、魔物は首を切り落とされた。

 何頭か倒すと休む間もなく再び襲いかかってくる。しかしそれも軽やかに避けて、優雅な剣捌きで斬りつける。

 踊るような動きと、軽快な足捌きは美しく、見蕩れる者も出るだろう。

 ただ、これは死の舞踊である。

 優雅な舞踏にヴェイセルからの感嘆が聞こえた。

 とん、と背に温かな体温が触れる。

 背中合わせに二人は武器を構えた。

「やるじゃないか」

「おまえもな」

 二人がもう一度武器を振るい終わる頃になると、魔物が恐れるようにこちらを見ていた。

 それでも逃げる様子がない。

 これだけ押しても撤退しないのかと、少し残念に思う。

 以前と比べて能力が落ちているエセルバートは、たったこれだけのことで息が上がっている。

 ヴェイセルは戦士らしくまだ余力がありそうだ。

 唸り声を上げてこちらを警戒する魔物は、怯えながらもまだ戦意を喪失していない。

 仕方がないと、もう一度剣を構えようとする。

 しかし、魔物の耳が一斉に岩場へと向かった。

「エセルバート!」

 はっとするのと、ヴェイセルの声が聞こえたのは同時だった。

 顔を上げると、眼前には岩から飛びかかってくる魔物がいた。

 咄嗟に転がるようにして避けるが、鋭い爪で腕が切り裂かれていた。

「大丈夫か!?」

 ヴェイセルが駆け寄ってくると、傷の付いた腕に気づく。

 その瞬間、彼の周囲の空気が一変した。

 身体を覆う魔力の表層が揺らいでいる。

 漏れているわけではないが、それを押さえ込んでいるようだ。

 微かに感じるヴェイセルの感情にエセルバートは戸惑う。

 彼の様子に気づいた魔物たちが、一斉に怯えたように震えだした。

 逃げ出さないのは、魔力の圧力に負けて動けないでいるからだ。

「ヴェイセル、落ち着け!」

 触れるのを一瞬迷うけれど、すぐにヴェイセルが何に対して怒っているのか思い出す。

「俺は大丈夫だから」

 そう言って、斧槍を握る手に触れる。

 すると一瞬で張り詰めていた緊張が消えた。

 ヴェイセルの揺れる瞳がこちらを向く。

 魔力圧から解放されたウルフレプトは次第に後退すると、尻尾を下げて一目散に逃げて行った。

 それに視線を向けないまま、エセルバートはただヴェイセルを見ていた。

 触れた一瞬で、ヴェイセルの魔力が凪ぐように治まった。

 あれは何だったのだろう。

 しばし考えても答えはわからなかった。

「……怪我は?」

「平気だ」

 そう言って怪我をした腕を軽く動かしたあと、まだ表情を曇らせるヴェイセルを見る。

「ありがとう」

 エセルバートの言葉にヴェイセルが苦笑した。

「なんで礼を言うんだ」

「俺のために怒ってくれたんだろう?」

 しばらく視線を彷徨わたヴェイセルは、ようやくエセルバートを見る。

「だから、ありがとう」

 そう言って微笑むと、ヴェイセルの瞳が見開かれた。

「大丈夫か?」

 離れていたレナルドとオーガストたちが松明を持ってやってきた。

「俺の出番がほとんどなかったんだけど」

「三体倒してただろ」

「……見る余裕あったんだ」

 呆れた顔でエセルバートを見るレナルドの横から、オーガストが声をかけてきた。

「ありがとう、助かった」

「当たり前のことをしただけですよ」

 護衛依頼なのだから、気にすることはないのだ。

 エセルバートがそう言うと、オーガストは苦笑する。

「そう言ってくれると助かる。荷馬車もあるし、素材は取っていこう」

 そう言うと、周囲を見る。

「夜中だけど仕方ないな。片付けを頼むよ」

 放っておけば血の臭いに誘われて他の魔物が現れる。

 三人は顔を見合わせて頷いた。

 エセルバートとヴェイセルが素材を剥ぎ、レナルドが死骸を燃やしていく。

 魔物の死骸を片付けた後は、エセルバートの腕が治療された。

 すべて終える頃には夜も更けていた。

「もうすぐ夜が明けるけど、眠れるうちに眠っておこう」

 エセルバートの言葉にヴェイセルが頷くと、レナルドが手を上げる。

「魔物が出る直前まで俺は寝てたし、見張りは俺がする」

 二、三時間くらいしか眠れないけれど、横になるとすぐに睡魔が襲ってきた。

 身体を動かしたことで疲れが出たようだ。

 今度こそ朝までぐっすり眠ることができた。