麗しの騎士は、英雄と呼ばれたくない

第20話 七色の小さな竜巻(セドリック)

 ここ最近、周囲の騒がしさにセドリックは辟易していた。

 仮面を被ることをやめたセドリックへ貴族が接触してきたり、女たちが色目を使って誘惑してきたりと、落ち着かない。

 けれど、そんなことはまだましな方だった。

 ナイジェルとトリスタンの派閥での問題行動が目に余るのだ。

 誰の仕業かはわからないけれど、互いに疑いの目を向けるよう仕向けられている。

 トリスタンは王位を望んでいないことで有名だが、エリアスを取り込むことで権力争いに加わるのではないかと言われている。

 それを一部の過激な貴族が警戒しているのだ。特に王太子ナイジェルの派閥が、トリスタンを危険視していた。

 このまま放置していれば、王子たちにも危害が及びかねない。

 セドリックは家族にあまり深い情を抱いていない。

 兄弟たちに対してもそれは同じで、いなくなれば多少は寂しくなるかもしれない、くらいの感情しか持ち合わせていない。

 このまま死ぬまで淡泊に生きていくのだと思っていたけれど、エリアスに出会ってからは感情の乱高下が激しい。

 胸の内に嵐を抱えているような感覚は、今までにないものだった。

 エリアスが笑えばセドリックの気持ちも凪ぐし、エリアスが不快になればセドリックは憤る。

 他人に感情を揺さぶられることがこの身に起こるとは、予想していなかった。

 だから、今起こっている問題がエリアスにまで飛び火すれば、自身の感情がコントロールを失うと理解していた。

 まだ情報が足りなくて主犯格がわからない。早くぼんやりとした犯人像をはっきりさせなくてはいけないと焦っていた。

 それがセドリックから冷静さを奪っていたのかもしれない。

 気づいたときにはエリアスが薬を盛られていた。

 セドリックの怒り狂う感情に呼応して、魔力が暴れようとする。

 引きずられる感情も上手く抑えられず、仄暗い思考が脳裏を埋め尽くす。

 制御できない状態だけれど、それもいいかもしれない。

 

 このまま騒ぎに乗じて、危険な場所からエリアスを攫ってしまおうか。

 普段から考えているようなことだから、行動を起こすことにたいして抵抗はない。

 それがとても魅力的に思えて、甘露を欲するように手が伸びる。

 けれど、そんな思考もエリアスの一言に一瞬で霧散してしまう。

「おれの顔を、ぐちゃぐちゃにしたいのか?」

 さらっと言い放っても、エリアスの顔色は悪くつらそうにしている。

 咄嗟に正気へと戻り、エリアスの身体を支えた。

 彼が軽口を言うことができるのは、セドリックが強引に頼んだからである。

 それなのに彼の意思を無視して攫ってしまえば、今まで築いた信用が瓦解し、氷のような冷えた瞳で見られるに違いない。

 そうなれば、こんなふうに話すこともなくなってしまう。

 そうして、霧のように霞んでいた思考がようやく晴れたのである。

 エリアスに後を任された王子は、大切な番に初めてのお願いをされて歓喜に震えていた。

 このまま抱きしめて、ふたりだけで部屋に籠もってしまいたい。

 そのためにも、この場を早々に収めなくてはならない。

 気を失ったエリアスの周囲から大量の魔力が溢れ出る。

 荒れ狂う暴風のような力は花瓶を砕き、床にひび割れを作り、書類をまき散らす。

 その様子は、さながら小さな竜巻のようである。

 主の制御を失った魔力は見えない人間からすると嵐のようだが、セドリックから見ると感嘆の息が漏れるほどに美しい。

 七色に輝く魔力が鞭のようにしなり、同色の花弁をまき散らすようにして暴れている。

 ひらりひらりと舞う花弁は風になびくこともなく、ゆるやかに宙を舞う。

 暴風が吹く部屋の中で見るには異様な光景で、自然現象ではないのだとはっきりとわかる。

 小さな花弁が触れると爆発して、あらゆるものを破壊する。そうして壊されたものの破片が、風に煽られて周囲に被害が及んでいる。

 恍惚としているセドリック以外には、ただの迷惑でしかない。

 ほうっと息を吐きながら見蕩れていても、この状況は変わらない。

 エリアスに頼まれたのだから、目覚めたときに部屋が見る影もないほど破壊されていれば、気を落とすだろう。

 エリアスは粗野で口が悪いし、態度も大きいのに、なぜか繊細さもある不思議な成年だった。

 まるで七色に輝く魔力が彼そのもののようである。

 エルフの血を持つ故に内包する魔力は膨大で、その色も美しく、容姿も目を奪われるほど整っている。

 背筋を正す凛とした佇まいは、剣のような鋭さもあり、儚い美貌とは裏腹に剛健な騎士であるとわかる。

 そんな彼が聞いたら卒倒しそうだが、傾国の麗しき騎士と呼ばれることもあった。

 ソファにエリアスを横たえると、セドリックは騒々しい室内へと視線を走らせる。

 トリスタンもこの場を何とかしようと騎士に指示を出そうとしているけれど、自分の魔力制御が手一杯でまともに動けていない。

 眠気もあるのか、頭を振っている様子もある。

 周囲の近衛騎士たちも戸惑っているばかりで、トリスタンに飛んでくるものが当たらないよう身を挺して庇うだけだ。

 それでもこの場で騒々しく動くよりも、一カ所に固まっている方がいくらかましである。

 迂闊に動けば花弁に触れて人間が爆発してしまうからだ。

 けれど魔力の動きを見ていると、人間を狙っている様子はない。ただ悪戯に物を破壊しているだけだ。

 まるで大人をからかう無邪気な子どもである。

 子どもっぽいところがあるエリアスらしい。

 エリアスが普段抑えてばかりだから、解放されるとこうなってしまうのかもしれない。

 そんなことを想像すると微笑ましく思い、セドリックの唇に笑みが乗る。

 麗しい騎士の顔を見下ろしながら、そっと頬に手を添える。

 下顎を親指で押さえると、唇が微かに開いた。

 後で衆人の前で口吻をしたと知られたら、かわいらしく赤面するエリアスが見られるだろう。

 そんな想像をしながら、セドリックは自身の唇をエリアスのそれに押しつけた。

 柔らかな感触を楽しみたいけれど、今はそんな時間がない。

 性急に舌を口腔内に潜り込ませると、軽く舌を絡ませる。

 彼に意識があれば荒々しいキスで翻弄するのも楽しいけれど、今はそのときではない。

 ただ触れるだけの口吻をして、魔力の流れを探る。

 しばらく魔力の調整に集中していると、破壊音がおとなしくなった。

 エリアスを中心とした魔力の渦は次第に収まっていき、体内へと戻っていく。

 最後に一本の魔力の蔦が軽くセドリックの髪を撫でて、消えていった。

 ようやく収まったのかと、へたり込む侍女や騎士がいる中で、トリスタンだけが緊張した面持ちをしている。

 まだ青い顔をしていて、調子が悪そうだった。

 トリスタンも魔力調整をしなくてはならない。

 この薬の影響を考えると、粘膜接触での調整が望ましい。

 実の兄弟で唇を重ねるのはさすがに遠慮したいため、誰かに弟のことを頼まなくてはならない。

 周囲にいる近衛騎士の中に魔力調整が得意そうな人物はいるだろうか。

 そう思考しているところに、ひとりの騎士が部屋の扉を蹴破って入ってきた。

 どうやら騒ぎで扉が傾いてしまい、手では開けられなかったようだ。

 大きな音を立てながら吹き飛ぶ扉の向こうから現れたのは、第三騎士団に所属するシルヴェスターだった。

 他の騎士たちも彼の後ろにいた。騒ぎを聞きつけてやってきたのだろう。

 ちょうどいい人物が来たとセドリックは自然と口角が上がった。

「なんですか、人が入ってきた瞬間に不気味に笑わないでください」

 嫌そうに顔を歪めながら近づくシルヴェスターの後ろから、他の騎士も部屋に入ってくる。

 怪我をした人間がいないか、助けに来た騎士たちが確認をしていく。

 まだ魔力が不安定なエリアスは、他人に任せることができない。

 セドリックは近づいてきたシルヴェスターに簡単に説明をする。

「菓子か、茶に薬が入っていたようだ。トリスタンも持ち堪えてはいるが、そろそろ限界だ。調整を任せてもいいか?」

「俺がですか?」

 嫌そうに顔を歪めるシルヴェスターを見て、セドリックは苦笑を浮かべた。

 これほどあからさまに、王族を嫌う騎士も珍しい。

「仕方がないだろう。お前以上に魔力調整ができて、信用できる人間がいない」

 この場にいる騎士たちはいまいち頼りないし、セドリックが信用できる人物は彼以外いそうにない。

 今まで平穏に過ごそうと派閥を作らず、人を避けてきたせいで、セドリックは竜騎士団にしか信じられる人間がいないのだ。

 仕方がないとはいえ、身から出た錆である。

「エリアスは大丈夫ですか?」

「今のところは収まっているが、まだ薬が残っているから油断はできない」

 腕に抱えるエリアスは、今は穏やかな呼吸をしている。

 けれど体内の様子を見ると、一度や二度の調整でなんとかなるようなものではなさそうだ。

「さすがのお前も、粘膜接触なしで調整するのは難しいかもしれない」

「そんな状態のトリスタン殿下を押しつけるんですか……。はあ、わかりました」

 溜め息を吐きながら渋々ではあるものの、シルヴェスターは弟王子の調整をすると約束した。

「エリアスを医務室に連れて行く」

「俺も後ほどトリスタン殿下をお連れします」

 セドリックが頷くと、シルヴェスターは一度心配そうにエリアスを見てから立ち上がった。

 その背中を見送ることなく、セドリックはエリアスを抱え上げる。

 解毒薬を手に入れなくてはならない。医務室にあるかはわからないけれど、向かうことにする。

 早く目を覚ましてほしい、そう願いながら、抱えるエリアスの額に唇を押しつけた。

 しばらく歩いていると、見たことのあるエルフの美少女が正面からやってきて、セドリックに駆け寄ってくる。

「待っていたわ」

 エレオノーラ・マユラである。どうやらセドリックを待っていたようだ。

「エリアスの魔力が暴走したのね」

 普段は穏やかなエレオノーラが、エリアスを見て厳しい表情を浮かべている。

「話は王太子殿下から聞いているから、私に着いてきて」

「なぜ兄上が?」

「さっき頭を下げられてしまったわ。騒ぎになるだろうから、よろしく頼むって」

 言葉を聞いた一瞬で、セドリックの魔力がざわりと蠢く。

「落ち着いて。あの方が手を出したわけじゃないわ。特殊な薬だから、医務室に解毒薬がないみたいで、私に調合を依頼されたのよ」

「兄上が情報を持ってこられたのですか?」

「そうよ。私も詳しくは聞いていないけどね。とりあえず、一緒に行きましょう」

「わかりました」

 そして、ふたりはエリアスを抱えて医務室へと向かった。