麗しの騎士は、英雄と呼ばれたくない

第2話 第二王子の意外な一面

 嫌な予感というのは、得てして当たるものだ。

 それもよりによって、一番気分がいい瞬間を狙ってくる。

 普段通りに眩い顔を武器にして、女と食事の約束を取り付けた直後だった。

 護衛の任務に戻ろうと歩き出そうとした瞬間、何気なく顔を巡らす。

 そのとき頭にあったのは、どうやって祝いの席でロベルトと距離をとるかについてだった。

 そんなことを考えていたせいで、気乗りしない感情が顔に出ていたのかもしれない。瞳を向ける先に偶然いたふたりの騎士が、顔を歪めるのが見えた。

「近衛のエリアス・サザランドか」

 そんなに顔を歪めるのなら、声をかけてこなければいいのにと思いながらも、今度は表情に出さないで柔和な笑みを浮かべる。

 ふたりの男が一瞬ぼうっと呆けて赤面するのが目に入る。

 見目麗しい顔のことは自分でも理解しているけれど、かわいげもない同性に効果があっても、エリアスはまったくうれしくない。

 名前が知られているのは仕方がない。王子の専属護衛となれば、あちらこちらで公に出ることが多くなる。

 専属護衛の評価が、そのまま近衛騎士たちの評判に繋がってしまうこともある。だからといって、エリアスは夜の交流をやめるつもりはなかった。

「あなたがたは?」

「第三騎士団だが、制服を見ても分からないのか?」

 騎士ふたりは馬鹿にしたように言う。

 王立騎士団に所属していれば、制服の基本的な形は同じである。後は基本色でどこの所属なのかは分かる。

 第三騎士団の色は黒を使っている。

 そんな明らかなことではなく、エリアスは名前を聞きたかったのだ。

 そちらが名前を知っていても、本来ならばこちらは顔も名前もまるで知らない相手なのだ。

 こうして聞き返しても名乗らないのだから、まずいことがあるのだろう。まずいといっても、後ろ暗いところがあるなどではなく、エリアスからの仕返しを恐れているのだ。

 一応王子の専属護衛だから、警戒をしているのだ。

 そんな気はまったくなくて、ただ頭が回らないだけという可能性も否定できないけれど。

「騎士の風上にも置けない男に名乗っても仕方がないだろう」

 もうひとりの騎士は、エリアスの意図を理解しているようだが、名乗るつもりがないらしい。

「知っていますよ。コールマン男爵家の三男と、ヘインズ男爵家の次男でしょう?」

「な、んで知っているんだ!」

 この国の貴族の顔と名前はすべて覚えている。家名から、当主、配偶者、その家族、親戚など。貴族に連なるものの情報なら頭に入っている。

 王子専属護衛を甘く見ているのか、ただ単にエリアスの頭が悪そうに見えているのか。

 その両方なのかもしれない。

 近衛騎士は顔で選ばれると思われがちだけれど、顔だけで仕事ができるわけではない。

 表舞台に立つのだから、顔がいいのは前提である。しかし顔だけで選ばれるはずがない。

 王子の側にいる護衛騎士が、馬鹿などと言われるわけにはいかないのだ。

 そのことを理解できない本当の馬鹿は、このように勘違いをし、本性を現すこともある。

「……っ、よく覚えているようだが、お前のようなふざけた騎士には、そのような情報も上手く扱えまいよ」

 ふざけていないのかと問われると、現在こうしてふたりの騎士で遊んではいる。しかし、騎士としての職務には、エリアスは意外と真面目に取り組んでいる。

 女を口説きながらも、その女性たちから様々な情報を悟られずに抜き出す話術は、一般的な貴族は持っていないものである。

 エリアスはその美しい顔と、今までの経験で、人から気づかれずに情報を引き出すことを得意としている。

 貴族同士の上品な言い方や、言葉の裏でのやりとりなど、そんなものは平民にはいらない。エリアスの言葉は大雑把で粗野なものだが、懐に入る器用さ、精神的な距離の測り方など、とても優れている。

 ほとんどの貴族には、遊んでいると誤解されているけれど、エリアスはあえて訂正しようとしない。

 その方が情報を得るには都合がいい。

 軽んじられている方が、警戒心も持たれにくい。

 夜の時間で得たものの中には、例えばこんなものもある。

「おふたりとも、とある女性に入れ込んでいるそうで……。その女性にべらべらといろいろ話しているようだが、その中身が大切なことだと理解できているのか? それに、その女性の本命も知らない。知らないからこうして私に絡む暇があるんだろな」

 男で、体力のあまりある騎士であれば、娼館通いも不思議ではない。ただこのふたりはとある高級娼婦に入れ込んでいる。

 彼女はその頭の良さで様々な情報を抱えていて、貴族の中でも顔が広い。口が堅いこともあり、信用も厚いのだが、持っている情報を惜しみなく与える特定の相手がいる。

 それだけではなく、その人物はその情報を有効に活用しているのだ。

 その人物は身分が高く、表立って顔を出せる人物ではない。

 それがエリアスというわけではない。けれど、その情報を貸してもいいと思われるくらいには、その人物と、情報源の女性とは信頼関係を築いている。

「貴様、彼女のなんだ!」

 騎士服の胸辺りを捕まれて、険しい顔で怒鳴られる。

 そんなことを聞くのではなく、話した情報については何も思わないのだろうか。

 呆れてしまい、うっかり鼻で笑ってしまう。隠す気はなかったけれど、少し早まったかもしれない。一応専属護衛なのだから、問題行動はしない方がいい。

 そう思っても、今となっては後の祭りである。

 案の定、その騎士は一瞬で沸騰するように顔を赤らめた。

「馬鹿にしやがって!」

 拳を振り上げるのを静かに眺めながら、余計なことが思い浮かぶ。

 このまま殴られれば顔に痣ができてしまう。トリスタンに叱られるだろうが、そうなればパーティーに出なくてもいいかもしれない。

 一秒にも満たない時間だが、一瞬だけ迷ってしまった。

 その隙を突いて、黒い影がぬっと目の前に現れた。

 エリアスに向けられた拳を軽々と片手で受け止めて、静かに佇んでいる。

「何をしている」

 決して大きくはない声で厳かに発せられた声に、皆一様に動きを止めた。

 エリアスは意外に思いながら、その声の持ち主を見る。

 青く光を反射する黒髪を揺らす男が、騎士の拳を掴んで立っている。

 後ろ頭しか見えないけれど、エリアスの前に立つこの男はセドリック・アストリー第二王子である。

 この王子が誰にも気づかれず、足音もなく近づくことができたのは、彼が竜騎士団に所属する騎士だからだ。その剣技の腕前は、竜騎士団団長に迫るものだという噂だ。

 そのセドリックを、エリアスは深い緑の瞳で観察するように静かに見る。

「殿下!?」

 慌てて頭を下げる騎士の手がエリアスの服から離れたので、エリアスも一歩下がって恭しく頭を垂れる。

「構わない。今はそれどころではないだろう」

 その言葉に平然と顔を上げるエリアスと違い、第三騎士団のふたりは青い顔をしている。

「騎士同士の争いは禁止されているはずだ。しかも複数の人間がたったひとりを相手に拳を上げようとするとは、恥ずかしいと思わないのか」

 静かな声だが、反論を許さない強さがある。

 背を向けているため、どんな表情をしているかは分からない。

 普段は柔和な笑みを浮かべているセドリックがこれほど厳しい声を発するのは珍しい。

 彼は争いを好まず、平和を愛する王子として有名である。王族でありながらもその権威を政治に活かすことなく、竜騎士になったと噂されている。

 そんな彼だからこそ、この争いに口を出したのかもしれない。

「このことはお前たちの上司に伝えさせてもらう。私の機嫌を損ねる前に、さっさと去ることだ」

 こちらに実害はないのだから、報告しても特に罰は与えられないだろう。ただ上司からの心証は悪くなるはずだ。

 そのことに対して特に思うことはない。ただ興味深くやりとりを眺める。

 静かな声も穏やかなものだが、セドリックから発せられる威圧感が、身体にぴりぴりと感じられた。

 静かに去って行く騎士たちを見送っていると、ようやく第二王子の空気は静かなものに変わり、顔がこちらを向いた。

 セドリックは王立騎士団とは基礎から形が違う黒の騎士服を身に纏い、深い藍色の外套を羽織っている。無駄なものを省いた鋭利な印象の顔は、穏やかな性格とは違い、まるで隙がない。

 冷たい氷のような青い瞳には、責めるような表情が浮かんでいた。

「お前も相手を挑発して、問題を公にしようとしたのだろうが、顔に痣を作れば近衛騎士として怠慢だと言わざるを得ないぞ」

 あの一瞬でセドリックはエリアスの迷いを見抜いていたらしい。

「私は黙って殴られるつもりはありませんでした」

「本当にそうか?」

 トリスタンとよく似たアイスブルーの瞳には、疑念しか感じられなかった。

「はい。私はふざけた男ではありますが、騎士としての誇りは持っています。近衛騎士として表に立てないような傷をつけるつもりはなかったと、サザランドの名に誓います」

 パーティーに出られなくていいかもしれないと頭に浮かんだのは本当だが、現実にそんなことをする気はなかった。

 そうなってしまえば、トリスタンの側にしばらくいられないし、トリスタンやエリアスを面白く思わない連中にとっては好都合でしかない。

 自らの首を絞めることになるというのに、進んでやる気はない。

「そうか。それならいい」

「……信じるのですか?」

 短く返された声に驚いてしまい、無意識に問い返してしまった。

「嘘を言ったのか?」

 聞き返してくる言葉は先程と違い、疑うような色はない。エリアスは言葉に詰まってしまう。

「……嘘ではありませんが、そのように簡単に信じてくださるとは思いませんでした。殿下も私の素行はご存じでしょう。そんな男の言葉を素直に信じてくださるとは、とても思えなくて」

「確かに、お前にはいくらか問題行動があるが、私にはお前が嘘を言っているようには見えなかった」

 言い切ってしまう王子の瞳は、まっすぐで真摯だった。

 エリアスはそれ以上何も言えなくなってしまう。

 セドリックは平和を好み、政治には興味がない。剣技以外の能力もそれほど高くなく、ぼんくら王子だと貴族の間では言われている。

 何をやらせても結果を出せず、身体を動かすしか能がない。

 公で王族相手にそう言う人間はいないけれど、誰もがそう思っているのは空気を見ていれば分かる。

 エリアスはセドリックがそこまで頭の悪い男だとは思っていなかった。

 王子であるというだけで、上手く立ち回らなければ自分の望むようには動けない。下手をすれば、貴族たちにいいように利用されて傀儡にされてしまう。

 そう思っていても、エリアスも侮っていたところがあるのは否めない。

 こうして正面から視線を合わせて話すのは、実は初めてだった。

 アイスブルーの瞳を正面から受けて、どくりと胸が脈打つのが聞こえた。

 その後の会話はうろ覚えだ。急いで離れなくてはならないと焦りが勝ち、礼をきちんと言えたかも定かではない。

 その後に控えていた任務の時間は胸を打つ速い鼓動と、どろりとした不快なものを抱えながらのものとなってしまった。