麗しの騎士は、英雄と呼ばれたくない
第1話 英雄の息子
英雄の息子として生まれたはずの俺は、三歳の頃誘拐事件に遭う。
そのときに助けてくれたサザランド伯爵――養父のもとで、すくすくと育った。
顔ばかり派手で、目立つ俺は他にも多くの事件に巻き込まれた。
美しいからと、変態たちに狙われ続けた。
それでもたいして腐らずに育ったのは、サザランド家の家族がいたおかげだ。
つらいことも、楽しいことも、ほとんど今の家族のもとで経験してきた。
いろいろな体験をしてきた俺でも、まさか第二王子とキスすることになるとは思っていなかった。
麗らかな日差しが窓から降り注ぐ。太陽の光を浴びながら、その温もりを享受するエリアス・サザランドは欠伸を噛み殺していた。
艶やかな金色の絹髪が陽光を反射し、寝ぼけ眼の深緑の瞳は微かに涙で潤む。白磁のような白い肌は滑らかで肌理が細かい。
どんな老若男女でも振り返る美貌の相貌は物憂げに俯き、長い睫が横顔に影を作っている。
見慣れない人間が見れば、気まずくて正視できない危うさがあった。
鍛えられた筋肉で覆われているのに着痩せする性質で、存外ほっそりとしている。
その身を包むのは、王室の近衛騎士にのみ許された白色の騎士服。上質な絹で織られており、金糸で鮮やかな模様が上品にあしらわれている。
両肩から流れるように足下まで広がる群青色の外套は、専属護衛の象徴である。
鮮やかな群青色は純白の制服を華やかに彩り、高潔な騎士らしい印象を与える。
エリアスは成人する前に、アストリア王国トリスタン・アストリー第三王子に侍ることを許された騎士である。
エリアスは決して模範的な騎士ではなく、以前から多少の問題行動があった。しかし目に余るような行動はしたことがない。
今までの仕事ぶりは近衛騎士たちの中で際立つことなく、しかし埋もれることもなく、適度に活躍していた。
実力もさることながら、器用に立ち回ることができる柔軟さや、その軽快な行動力がトリスタンの目に留まるのも無理はなかった。
学生の頃は友人として接していたこともあり、トリスタンとの関係は互いに信用の置けるものだった。
そのこともあり、今から二年ほど前に王子から数人しかいない専属護衛に直接任命された。
本人としてはあまり注目されたくないけれど、王子からの命令では断り切れなかった。
どれほど人の目から隠れて過ごしたいと思っていても、近衛騎士向きの華やかで繊細な顔立ちがそれを許さない。
人が行き交う王都の往来で突っ立っていたとしても、どうしても目を引いてしまう。
幼い頃は自覚がなかったけれど、現在は自分が主張の激しい容姿をしていると、認めている。
幼少時は自身の美貌にまるで頓着していなかった。
他人の視線を吸い寄せる美貌だと気づいたときには、何度も危ない目に遭った後で、人間不信に陥ったこともある。
現在では優れた剣術と、膨大な魔力を持っていることもあり、どんな無頼漢相手でも引けを取ることはない。
もともとおとなしい性格ではないこともあり、絡まれたときには過剰なくらいの逆襲もしたことがある。
その美しい顔からは想像もできないくらい気性の荒い性格は、嫋やかな印象の美貌とはまるで正反対である。
静かにトリスタンの食事風景を眺めながら、時間が過ぎていくのを待つ。
「眠そうだな」
「そうですか? いつも通りです」
トリスタンの軽口にも、気安く応じる。
それを嫌がる貴族もいるけれど、ここは王子の私室である。
文句を言う人間はいない。
専属護衛の仕事は、主人の側で警護するだけではなく、個人的な仕事を請け負うこともある。
まだ王子の護衛となって日が浅く、一番若いということもあり、トリスタンの友人という至ってまともな仕事を任されている。
既に友人関係を築いているのに、友人になるという仕事を請け負うのも、おかしな話ではある。
あまり人目につくとまずい仕事は、エリアスの個人的な事情もあり、まだ任されたことはない。
その事情が特別視されているように見えて、エリアスは気に食わなかった。
しかし目立つのも嫌なので不満も言わず、おとなしくしている。
そのこと以外ならば、今の生活には概ね満足していた。
「今日の午後にでも、ロベルトが王都に帰ってくるそうだ」
短めに切りそろえた王家特有の艶やかな黒髪を揺らし、トリスタンはアイスブルーの瞳を静かに伏せる。
名前を呼ばれずとも、英雄の話題といえばエリアス以外に向けられる理由がない。
「そうですか」
短く漏れた冷ややかな声は、笑みを浮かべる美しい薔薇色の唇から発せられている。
どこから見ても完璧な笑みだが、エリアスが不快に感じているのは王子にはわかっているはずだ。
王子の前で不機嫌な顔をするわけにもいかず、仕方なく表面上は笑っている。
その声には露骨なほど嫌悪が混じっていた。
「……実の父親がそれほど嫌いか?」
「俺の名前はエリアス・サザランドです。英雄ロベルト・ニリアン様とは無関係ですよ」
「表向きはそうだが、実際は血の繋がった父親だろう。そうなった経緯は俺も知っているが、お前の英雄嫌いの原因は知らないな」
「単純すぎて言うのも憚られる内容です。殿下にはつまらないものですよ」
それ以上は口に出す気はない。
麗しい笑みを消すと、やわらかな印象は消えて氷のように冷たい。
そんなエリアスの表情を見ても、トリスタンは気にせずからかうように笑った。
「虫も殺せんという顔をしているのに、平気で人を殴るし、大雑把で高潔な騎士らしくない。高貴な貴族として暮らしているのに、実際は荒くれもののように粗野だ。女好きで遊び好き。だが騎士の中でも指折りの実力を持つ。そんなギャップの塊のような男が、何を言ったとしても、興味をそそるしかないんだが」
「……褒めてるのか、貶してるのかどっちですか。本当に単純な理由なので言いませんよ」
「つまらないな」
ありきたりな理由過ぎて、却って言うのが恥ずかしくなるくらいなのだ。
この顔も悩みと同じくらい平凡だったら良かったのにと、本気で思う。
「それで、帰還の祝いには、おまえも護衛として出席することになっているからな」
「そんなの嫌です。お断りします」
「どんなに言っても逃がさない。俺の目の前でそんなにはっきり断るやつはおまえくらいだぞ」
トリスタンはくつくつと喉を鳴らすようにして笑うと、目を細めて形のいい唇を開く。
「これは、命令、だ」
「わかりました」
言葉を切りながら歯切れ良く言われる。
エリアスは不承不承に頷くしかできない。
逃げられるとは微塵も期待していなかったため、大げさに残念がっているだけである。
断ることができるとは始めから思っていない。
素直に最初から承諾しないのは、嫌な話題を振ったトリスタンへの単なる嫌がらせである。
トリスタンへと視線を向けると、困ったように苦笑している。
立場のある第三王子でありながら、友人に命令することを嫌う。
そのうえ、そんな自身に嫌悪する感情を上手く隠すことができない。
そういう彼のことを、エリアスは好意的に見ている。
エリアスがサザランドの姓を名乗るようになったのはまだ三歳の頃である。
今ではその発端となった誘拐事件のことは、はっきりと覚えていない。
経験した記憶としては薄いけれど、事実としてならエリアスも知っている。
英雄の息子だったために、誘拐されたのだ。
詳細は知らないけれど、何らかの陰謀があったことは間違いないはずだ。
当時、幼いエリアスが誘拐犯から逃げ出して彷徨っていたところを、サザランド伯爵領で保護された。
けれど、幼すぎてまともに話せず、英雄の息子であることは誰にも気づかれなかった。
着ている服と状況から察すると、それなりに身分のある子どもだとは分かったようだ。
だがそれだけだった。
何も情報がなく、ただの迷子として扱われていたエリアスを、温和な伯爵は息子として引き取った。
当時から膨大な魔力を持っていたことが原因で、サザランド家には多くの迷惑をかけた。
しかしどれだけ問題を起こしても、義家族は決してエリアスを見捨てなかった。
それを本能で感じ取った幼い子どもが、彼らを家族として受け入れたのは早かった。
ただ素直な性格ではなかったことが災いして、完全に打ち解けるのには時間がかかった。
素直に甘えられるようになったときをほぼ同じくして、実の両親が見つかった。
今だからいえるけれど、タイミングが悪かったのだ。
まだ幼く、別れる前の親の顔も満足に覚えていなかった。それに新しい家族にも慣れ始めたときだった。
実の両親と数年ぶりに再会しても、幼いエリアスはまるで懐かなかったのだ。
あれから何年も経っているのに、未だに父親のロベルトとエリアスの間には埋められない溝ができている。
実の両親がエリアスを大切に思っていることは頭では理解しているけれど、感情が追いついてこない。
ただそれだけなのだが、二者の間に横たわる隔たりは大きかった。
その状況が成人していくらか経つ現在でも続いているのだから、自分の頑なさにはエリアス本人も困惑している。
そのことを誰にも語ったことはないけれど、内心では罪悪感や気まずさというものを感じていた。
何か切欠があれば、今の関係を崩すこともできるのかもしれない。
小さな揺らぎでは変化が起きるのは難しいだろう。
変化が起こるときは、おそらく大きな痛みを伴うはずだ。
穏やかな日常を壊したくはない。それでもこの状況が崩れることをどこかで期待してもいる。
相反する思いに、愁いを帯びた深い緑の瞳を伏せた。
どれほどエリアスが平穏を願っていても、運命は放っておくほど優しくはなかった。