その英雄は、一度死んでいる

第2話 商人の護衛依頼2

 興味津々なレナルドの視線を受け流していると、隣の男が口を開く。

「ヴェイセルだ」

 声を聞いてぴくりと身体が揺れた。聞いたことはないけれど、深く落ち着いていて、低い。

 耳に残る声はずっと聞いていたいくらいだった。

 けれど、なぜか落ち着かない気分にさせられる。

 そわそわしている内心を表に出さないよう、エセルバートは何でもないふうに装う。

「ランクは鋼。俺もほとんどソロで活動している。見ての通り魔人だ」

 そうだろうとは思っていた。

 純粋な人間や、亜人、獣人とは違う特徴がある。耳が微かに尖っているのだ。

 もしかしたら森人と人の混血かもしれないと、最初は考えた。

 けれど、森人とヴェイセルの特徴は正反対だった。

 彼らは細身で、人形のような繊細さと、神から与えられたような完成された美貌を持つ。

 性格も戦いを好まず穏やかで、扱うのは弓矢や魔法が中心だ。

 ヴェイセルも麗しく美しいけれど、全体的に粗野な印象を持つ。

 今は持っていないため武器が何かわからないけれど、鍛えられた鋼の筋肉は前衛向きのものである。

 特に、その赤銅色の瞳は、獰猛で好戦的な印象がとても強い。

「きみも変わってるな。自分から魔人だなんて普通は言わないと思う」

「……そう、なのか?」

 レナルドの言葉にヴェイセルが困惑する様子を見て、エセルバートは微かに違和感を覚える。薄い反応ではあったものの、何かが引っかかった。

 けれどすぐに思い直す。この依頼の間だけの付き合いなのだ。

 その引っかかりが何かなど、知らなくても問題あるまい。

「では、早速依頼の説明をしよう。積もる話はあとでするといい」

 オーガストに三人の視線が注がれた。

「依頼書にも書いていたとおり、ここから北に位置するアシュクロフト領スティールの街まで頼む。途中ハーリーの街や、森を通る。野宿ももちろんある。魔物にも遭遇するだろうから、十分準備はしておいてくれ」

 すべての説明が終わる頃になると、結構な時間が経っていた。

「すまない、遅くなってしまった」

 オーガストの言葉にも、レナルドは笑顔で答えた。

「いえ、何も教えられないよりはいいです。情報があるのとないのとでは全然違いますから」

 社交辞令のような受け答えは、本当に貴族とよく似ている。

 少し思考に耽っている間に、他の冒険者たちは応接室を出て行った。

 エセルバートも続こうとすると、オーガストに呼び止められる。

 視界から他の二人の姿が消えると、部屋には商人とエセルバートだけになる。

「またきみと仕事ができるなんて光栄だな」

「光栄だなんて、一介の冒険者相手に言うことではないですよ」

「きみはただの冒険者ではないだろう」

「オーガストさん!」

 誰に聞かれるか分からないのだから、あまり意味深なことは言わないでほしい。

 そういう意味を込めて軽く睨むと、オーガストは苦笑した。

「きみの秘密は誰にも漏らさないよ。たとえ家族を人質に取られたとしても、もし私が命を失ったとしても」

 真摯な目から深い覚悟を感じて、反論する。

「俺にそこまでしてもらう価値はありません」

 はっきりと言い切っても、この商人は緩く首を振るだけだった。

「きみに家族と私の命を救われてから、この恩は一生かけて返すと決めたんだ。諦めてくれ」

 にこりと微笑むと、先ほどの強い目は途端に隠れてしまう。

 それほどのことをしたわけではないのに、この男の忠誠心にエセルバートは戸惑う。

 五年前、急に一人になったときも彼のおかげで助かったとはいえ、未だにこの重い献身には慣れない。

 恩など忘れて、幸せに生きてほしい。

 そう何度言っても、オーガストは首を縦に振らない。

 エセルバートも半ば諦めているけれど、それでも誰かの命を背負うほどの強さはなかった。

 憂鬱な気持ちで店を出ると、ヴェイセルとレナルドが立っていた。

 どうやらエセルバートを待っていたらしい。

「これからどうする? 俺は魔法店に行って旅の準備をするけど、前衛のきみたちはあまり関係ないよね?」

 魔術師であれば魔法店に用があるのは頷ける。

 けれど、誰かと行動を共にする気がなかったエセルバートは、一人で必要なものをそろえるつもりだった。

「俺は俺で準備する」

「そうか。それじゃあ、出発の日にまた会おう」

 レナルドはあっさりと別れを告げて歩き出した。

 自分も行こうと足を前へ動かす。だが、それもしばらくすると止まってしまう。

 後ろからついてくる足音に振り返ると、ヴェイセルがすぐ側で立っていた。

 エセルバートが足を止めたことで、彼も止まっていた。

「何か用か?」

「あ、いや。そういうわけではないんだが……」

 自信なさそうに男が俯く。

 どうやら意識した行動ではなかったらしい。

 何を考えてついてきたのか、まったく理解できない。

 周囲や、通りすがりの人から怪訝な視線が投げかけられる。

 ヴェイセルはいつまで経っても戸惑うように視線を泳がせている。

 どこから見ても気弱な男にしか見えない。

 これではエセルバートが虐めているようだ。

 不安そうにしおらしくしている姿は、捨てられた子犬のようにも見えた。

「おまえは何がしたいんだ?」

 呆れ返る声で問いかけると、ヴェイセルが顔を勢いよく上げた。その赤銅の瞳が存外強い光を放っていて反射的に息を呑む。

「俺と買い出しに行かないか」

 先程のエセルバートの発言を聞いていたのだろうか。

「……断る」

「邪魔はしない。ついて行くだけだ」

「俺は一人が好きなんだ」

 本当は好きでもないし、嫌いでもない。正直どちらでもいい。

 人と関わることが苦手なことも断る理由の一つではあるものの、それだけではない。

 誰にでも知られたくない秘密くらいあるだろう。

 それが、エセルバートが行動を共にしたくない理由になっただけだ。

「昼飯を奢るから」

「必要ない」

 なんとしてでもついて来ようとする男のしつこさに閉口する。

 それでも断ろうとしていると、ヴェイセルは攻める方向を変えてきた。

「それなら、オーガストさんがいつ出立するか知っているか?」

「知ら……、ないな」

 先程の会話の中に出立する時間についてはなかった。

 もしかして依頼書には書いてあったのだろうか。

 ギルドで依頼の内容は簡単に見たけれど、そこまで細かいところは確認していなかった。

「教えてやるから、俺と買い出しに行こう」

 エセルバートは言葉に詰まる。

 これは完全に自身の失敗だ。

 言い訳になるけれど、普段からこんな初歩的な失敗をしているわけではない。

 しかし、相手が気心知れたオーガストだから気が抜けていたのだといわれてしまうと、反論できない。

「だが……」

「依頼はどうする気だ? あの人に迷惑をかけるのか?」

 正論を言われて言葉に詰まってしまう。

 しばらく逡巡するものの、最終的にはエセルバートが折れた。

「……わかった。今回だけだ。でも仕方なく行くんだからな」

「それで構わない」

 ヴェイセルが目尻を下げて笑う。

 初めて見る男の微笑みは、美醜を気にしないエセルバートから見てもとても魅力的なものだった。

 清廉な美貌が笑み崩れると途端に甘くなり、見る者を魅了してやまない。

 嬉しそうなヴェイセルに言葉が詰まる。

 なぜここまで喜ぶのか理解できない。

 それだけではない。

 これほど強引なのに、なぜ先程は自信なさげにエセルバートの後ろをついてきたのかもわからなかった。

 幻でも見ていたのだろうか。

 そんなことを考えながら、頭上を見上げる。

 王都の中央には街の端からでも見える時計塔が建っている。

 時刻は既に昼を過ぎているけれど、まだ買い出しに行く余裕は十分にある。

 そのまま連れだって歩き出すと、胃が空腹を訴えてきた。

「腹減ったな」

「俺もだ」

 エセルバートの声に、ヴェイセルもくうと腹を鳴らしている。

「嫌いな食べものはあるか?」

「いや、ない」

 答えを聞くとエセルバートは適当に露天を見繕い、目に入った串焼きを買うことにした。

「おやじさん、この串焼き四本くれ」

「あいよ、味は塩とタレがあるけどどっちがいい? 俺のおすすめは塩だ」

「塩とタレ、二本ずつくれ」

「はいよ、まいどどうも!」

 焼きたての湯気が立つ串を受け取ると、ヴェイセルに塩とタレ一本ずつを渡した。

 男はいい香りがする肉に鼻をひくつかせて、迷いなくかぶりつく。

「美味いな、何の肉だ?」

 エセルバートも肉を食べていたけれど、ヴェイセルの反応に意外な面持ちで見る。

「ホーロー鳥だ。一般的に出回ってる肉だけど、知らないのか?」

 あちこちで家畜として出回っている鳥だ。

 鶏の次くらいに、市場ではよく見かける。

「まあ、二年前からこの国にいるけど、まだ慣れていないからな」

 なんとも歯切れの悪い言葉だった。

 相変わらず視線は泳いでいるし、どこか違和感がある。

「それは、この国で冒険者をしていて大丈夫なのか?」

 人間の常識がわからなければ、騙されたり問題が起こったりするはずだ。

 エセルバートはそんな想像をしたけれど、ヴェイセルは何でもないふうに応じる。

「幸運にも俺は強いし、言葉は通じる。それに俺の気性は大人しい方じゃない。何かあってもやましいやつの方から逃げていった」

 エセルバートの後ろを迷子のようについてきていた様子を見たあとでは、まるで説得力がなかった。

 けれど、豪快に肉に食らいつきながら口角を上げて笑う男は、軟弱な性格には見えない。

「さっきは何であんなにおろおろしていたんだ?」

「どう声をかければいいか、わからなかったんだ」

 エセルバートが問いかけると、気まずそうに苦笑いを浮かべている。

「……どういうことだ?」

 ヴェイセルの意図を図りかねて首を傾ける。

「せっかく一時的にとはいえ、仲間になるんだ。少しくらいは交流しても良いだろう? それに、俺にとって悪いことばかりじゃない」

 交流する気がエセルバートにはまったくないし、男の言葉がいまいち理解できない。

 話をしたいと言われても、こちらは深入りするつもりもない。

 これ以上話を続けても堂々巡りだと考えて、敢えて話題を変えた。

「二年前からいるってことは、戦争が終わってからか?」

「たぶんな。あの頃は余裕がなくて、記憶が曖昧なんだ。気づいたら戦場にいて、周りには誰も生きてるやつはいなかった。最悪な光景だった」

 遠くを見る目をしながらも、ヴェイセルの表情はどこか苦しげだ。

 エセルバートも想像するだけで顔が歪んでしまう。

 ヴェイセルだけでなく、エセルバートも戦場にいい思い出はない。

 あちこちから聞こえる怒号、負傷した兵士のうめき声、噎せ返る血の臭い。

 何度同じ経験をしても慣れることはない。

 視界に入る場所一面死体だらけで、立っている人間は誰もいないなどということもよくあった。

 そんな風景はエセルバートにとって見慣れたものだった。

 記憶の中にある光景を思い出してしまい、頭を振る。

 最悪だというヴェイセルの言葉は、十分すぎるくらい理解できた。

「三年間は大陸中を巡って旅をしていたんだが、なかなか落ち着く場所がなくて……。二年前からこの国にいるけど、まだだめだな。まあ、それもいつか見つける気でいる。俺のいるべき場所を……」

 真っ直ぐに虚空を見つめる赤銅色の瞳は強い意志を秘めていて、迷いがない。

 けれど遠くを見つめる顔は、何かを渇望しているようにも見えた。

「しばらく、仲間としてよろしく頼む」

 振り返った瞬間に笑みを象る目には、柔らかな光が宿っていた。

 急に強い光が消えて内心で戸惑う。

「……」

 反射的に頷きそうになるものの、ぐっと堪えた。

 それを見るヴェイセルは困ったように苦笑いをしている。

 エセルバートの冒険者歴はそれほど長くないけれど、様々な事情を持つ人間は何人も見てきた。

 ヴェイセルとは別の魔人に会ったこともある。

 だからこの男に同情するつもりはない。

 けれど、わざわざ関係を悪くする必要はないかもしれない。

 依頼の間だけ良好な関係を築いたとしても、きっと誰もエセルバートを責めないはずだ。

 珍しくそんな都合のいいことを考えていた。

 一方的に感じただけだが、知っている感覚を共有したからかもしれない。

 決していいものではいけれど、戦場の嫌な景色を知っている人物は少ない。

 全滅に近い状況で独り立っている場面は、早々何度も起こらない。

 それでもヴェイセルは知っているのだ。

 そのあとは必要なものをそれぞれ買い足しながら、店を巡った。

 買い物が終わった後、渋ることもなくヴェイセルはあっさり別れた。

 最初はしつこく食い下がっていたから、分かれるのは嫌だと粘るかと思っていた。

 呆気にとられるほど、意外と淡泊な対応だった。

 出立はオーガストに急ぎの用があるのか、翌日だった。

 三人目の冒険者が早めに見つかったことで、予定が早まったそうだ。準備ができ次第、ピーズの街を出るとのことだ。

 普段から旅にはいつでも出られるように準備をしている。焦る必要もない。

 その夜は明日に備えて、早い時間にベッドへと潜った。