麗しの騎士は、英雄と呼ばれたくない
第11話 仮面を暴かれる
冷たい空気に触れる肩が少し寒くて、意識が現実に浮上した。
まだ眠気に逆らえず瞼を閉じたまま、ふるりと身体を震わせる。
その様子を見る誰かの苦笑する声が聞こえた。
くすぐるようにするりと髪を撫でられ、エリアスの肩周辺が温もりに包まれた。毛布がかけ直されたようだ。
エリアスの身体を抱え直すように、背中に温かい重みを感じる。
無意識に暖かさを求めて、堅い何かへ頬を寄せる。
戸惑うように息を詰める音が聞こえた。
「エリアス。そんなに無防備だと食べてしまいたくなる」
不穏な言葉に意識が導かれ、ぼうっとしたまま目を開く。眼前には健康的に日に焼けた艶やかな肌が見える。
着ているシャツの隙間から覗いているのは、隙なく鍛えられた胸筋だった。
ぺたぺたと確かめるように、堅い胸に触れて現状を考える。誰かと同衾しているというのは理解した。
しかし普段と違い、女性らしいやわらかな膨らみがない。
目の前の身体が男のもので、ともに横になっている現状を理解してはいる。
ただ寝ぼけているせいで、頭の中はふわふわと浮いているような感覚だった。
しばらくぼんやりしていていると、顎を上向かせられて額にキスを落とされた。視界に黒髪の男が映り、エリアスはようやく我に返る。
「……へ?」
急に意識が鮮明になる。
セドリックが意地悪な笑みを浮かべていた。
エリアスはしがみついていた相手が誰か分かると、驚いて離れようと腕を突っ張る。
男の腕に拘束されていた身体は、なんの抵抗もなく離れた。
そこでセドリックに隙間なく抱き込まれていたのだと気づくと、顔から血の気が引いて、一気に真っ青になった。
昨夜、自分が何をしたのかも思い出してしまい、さらに動揺した。王子相手に不敬極まりないことをした。
勢いよく、男の手から届かない距離まで離れた。ベッドから降りて跪くと、恭しく頭を垂れる。
「……申し訳ありません、殿下の手を煩わせてしまいました」
畏まったエリアスに不満なのか、セドリックは眉間に皺を寄せている。
「あれは緊急事態だろう」
魔力が想定外に乱れてしまったのは、仕方がないことである。
原因がセドリックであり、そのセドリックに強引に魔力調整を施された。おそらく彼自身は、エリアスの魔力が乱れた原因に気づいていない。
今後の生活を考えると説明した方が無難なような気もする。
その前に、昨夜の自分の行動を許してもらわなくてはならない。
セドリックは顔を歪めたまま息を吐き出すと、立ち上がる許可を出した。
「跪くな。立て、話がしにくい」
「はい」
ようやく立ち上がると、セドリックも身体を起こしてベッドに座り直す。
「お前も座れ」
隣を示すように、片手でベッドを叩いている。
それを無視して、エリアスは周囲を見回す。
執務机の椅子には乱雑に上着が掛けられている。王子のものだけではなく、昨夜脱いだエリアスの上着もあった。
空いているとはいえ、第二王子専用の椅子に座るわけにはいかない。
ソファに座るのも考えたが、セドリックと距離が開きすぎてしまう。
王子は動く気がないのか、エリアスが隣に座るのを待っている。
他に場所もない。迷いながらも、少し距離を開けて隣に腰を下ろした。
「もう身体は平気なのか?」
「はい……」
初めてシルヴェスター以外に魔力調整を受けたのだ。何も身体に変化がないか、自分の体内に意識を向ける。
義兄ならあれほど乱れていたとしても、粘膜接触をせずになんとかしたはずである。 魔力調整が得意なシルヴェスターと、不慣れなセドリックを比べても仕方がない。
眠っているときもセドリックに抱えられていたのに、今も乱れた様子はない。
一度体内に王子の魔力を取り込んだからかもしれない。このまま静かな状態がずっと続くとも限らないし、油断はできない。
「大丈夫そうです。ご心配ありがとうございます」
自身の掌を見ながら応えると、横顔に視線を感じて顔を上げる。
目を細めて不機嫌そうに眉を寄せる男に気づく。
セドリックの顔の作りはバランスよく整っている。それでも繊細さよりも雄々しい印象が強い。
そんな顔が不機嫌になっていると、少し怖いかもしれない。
先程からなぜそんなに機嫌が悪いのか、まるで理解できない。
睨まれている状態に固まっていると、セドリックは瞼を閉じて、不満そうに呟いた。
「敬語に戻っている」
「当たり前です。私はただの騎士で、あなたは王子殿下ですよ」
昨夜の失態を思い出して、思わず頭を抱えて唸りたくなる。
冷静ではなかったし、余裕もなかった。普段つけている仮面も剥がれ落ちていたし、素の状態で王子と話をしてしまった。
思い出すと再びエリアスの顔は青くなる。なおもセドリックは強い視線を向けている。
怒られるのだろうか。怒られるだけならまだいいけれど。
不安が胸中に広がる。
「俺はあちらの方が好ましい」
怒っているわけではなさそうだ。
しかし、セドリックが望んでいることを、そのたった一言で理解してしまった。
「……そうですか」
言いたいことは分かっている。それでも気づいていない振りをして、今後のことを考える。
朝食を食堂で取ろうと思うなら、そろそろ寮の自室に戻らなくてはならない。
時間はまだ朝早い。少し空が明るくなってきたくらいだから、まだゆっくりと身支度ができるはずだ。
飛ばしていた思考は、手を握られて強引に戻された。
構えもしていない状態で、手を引っ張られる。予想していなかった事態に、されるがまま厚い胸板に倒れ込んだ。
「俺に丁寧に接するのはやめろ」
強い力で捕まれてはいるものの、簡単には外れそうにない。それでも加減はされているようで、痣になるほどではない。
セドリックは喉を獣のように鳴らすと、エリアスの肩に額を擦りつけてきた。
一体何がしたいのだろうと、観察しながらされるがままだった。
黙っていても放しそうにない。
しばらく逡巡した後に、仕方なく口を開いた。
「トリスタン殿下に連絡を入れていないので、他の近衛騎士にも心配されていると思います。なので、早く戻りたいのですが……」
横目で視線を向けると、男の日に焼けた首筋が見える。
がっしりとした身体の男に抱き込まれている状況に、エリアスは混乱していた。
セドリックの琴線に触れるようなことをした記憶がない。
魔力が乱れていたとはいえ、記憶は飛んでいない。思い返しても、おかしなことはしていないはずだ。
不敬な態度を取ってしまったことについては、この際置いておく。
この様子では普通に接しろと言われているだけではなく、なぜか離れるのを嫌がっているように見える。
がっちりと抱きつかれていると、寮の部屋に帰したくないようにしか見えない。
「トリスタンには、一晩借りると俺が連絡しておいた」
「え」
エリアスは一瞬呆然とした。
本当にそのまま伝えたのなら、いろいろと誤解が生じていそうである。
後で上司と同僚に言い訳をしなくてはいけない。
面倒だとは思うけれど、今はこの場から離れることを優先しようと、頭を切り替える。
「急いでいるんです」
「このまま丁寧に話すのなら、部屋には帰さない」
「意外にわがままですね」
「そうでもないさ。普段は聞き分けがいいと知っているだろう?」
思い返すと、彼もかなり厚い猫の皮を被っていたとわかる。
目の前でわがままを通そうとする彼が、男の素なのだろう。
「なぜ急にそんな態度になったんですか?」
「エリアスにはこちらの方が好まれると思ったからだ」
しばし考えて、内心で肯定する。
今まで知っていたセドリックは穏やかで争いを好まない割に、何を考えているかわからないところがあった。
不敵に笑う彼の方が人間らしくて、好ましいのは確かである。
しばらくセドリックと話をしていても、力強い腕は離れない。しつこく粘るセドリックに、最終的にはエリアスが折れることになった。
「……ふたりのときだけだからな。他に人がいたら絶対やらねぇからな」
「それでいい」
満足そうに微笑まれると、相手は男のはずなのに好きな笑顔だなと感想を持ってしまう。
ようやく手が離される。
上着を取りに行こうと立ち上がる。
「エリアスは、普段と素ではまったく印象が変わるな」
外見と、口調の印象が一致しないことは理解している。
セドリックの言葉を聞いていると、本人に同じことを言い換えしたくなる。
エリアスも厚く大きな猫の皮を被ってはいるものの、基本的な姿勢に変わりはない。だからそれほど差異があるとは思っていない。
本性を知る家族の前でだけは、セドリックに対してのようにかなり平民よりの口調になる。
サザランドの家族はそんなエリアスを注意するどころか、嬉しそうに見ているだけである。
エレオノーラや、ロベルトにも粗野な方がいいと思われているようなのだ。
だから直そうとも思っていなかった。
口調が原因で態度が横柄に見えるだけでなく、粗野で乱暴な印象になる。つまり、どこかのごろつきのような話し方だとエリアスは考えている。
普通の貴族なら、そんな相手に近づこうと思わないはずだ。
その方がエリアスにとって都合がよかった。
けれど、実際はそうではない。
無機質な美しい人形の仮面が剥がれると、美しく綺麗な顔に感情が乗り、人間らしく様々な感情で彩られる。それが魅力的に見えるのだ。
そんなエリアスに近づこうとする人間はいても、避けようとは思わないだろう。
一応貴族としての建前を守っていることで、エリアスの魅力に気づいている人間は少ない。
エリアスだけでなく、家族もエリアスの本性を誰にも教えていない。話さないのは身内として認められている優越感が多少はあるのかもしれない。
「そこまで使い分けてねぇと思うけど……」
「俺はそのままでいいと思うぞ。その方が好都合だ……」
「なんだって?」
「いや、なんでもない」
最後の方は小さい声で聞き取れなかった。再度聞き返しても、話を逸らされてしまった。
「時間がないんだろう」
「……そうだな」
はぐらかされたようで、喉にものが詰まったようにすっきりしない。けれど時間がないのも事実で、仕方なくそのまま流されることにする。
その後はそれほど時間を取られることなく、セドリックの私室を出た。
窓から外を見ると、ようやく太陽が山の向こうから顔を覗かせ始めていた。
寮に戻ったあとは、軽くシャワーを浴びて、飾り気のないシンプルな普段着に着替える。
今日は仕事は休みだったけれど、のんびりしているわけにもいかなくなった。
考えただけで気が重くなる。
セドリックがどう伝えたか分からないし、トリスタンの元へ顔を出すことにする。